昭和五十六年五月二十二日 朝の御理解


御理解第七十九節
「商売をするなら買場売場と云うて元を仕込む所と売先とを大事にせよ人が口銭を拾銭かけるものなら八銭かけよ目先は弐銭損のようでも安う売れば数が売れるから矢張り其の方が得ぢゃ身体はちびるものでないから働くが良い」


おかげの根本というか、お徳を受ける為には どうしてもという所が教えてあると思います。これはお商売をするならとその お商売が絶対繁盛をする 絶対お商売によって徳を受ける事が出ける。その根本が説いてあると思います。
 お商売人が例えば売り場買い場が大切に出け、しかも他よりも十銭の物なら二銭も安いというような生き方をすれば絶対商売繁盛です、しかも最後に体はちびるものではないからとおっしゃる、いわば働くがよいという。ここん所が出来ていく限りもう商売が絶対繁盛と同時にお徳を受けて行くのです。いわゆる商売繁盛の根本はこれなんです。宣伝がうまいから、商売が上手だから、成程商売は繁盛するでしょう。けれどもそれは その商売上手の人が亡くなったり、宣伝をしなくなったら又ガタ落ちに落ちてしまうでしょう、ねだから先ず 先ずは人間。ね しかもいうなら体はちびるものではないからと教えられる、本当に働く精進、ね、働く、いわば はたを楽させる精進、そしていわゆる教えである所の教え、いうなら売場買い場を大事にする、よそより十銭のものを でも八銭で売る。目先は二銭損のようだけれどもと おっしゃるようにそれが実行出けたら絶対商売は大繁盛です。大繁盛だけぢゃないです。それに、ちびる事がない、いうなら、はたを楽させる働きという事は、もういうならば何々商店の繁盛だけではなくて、何々商店の徳がつくでしょうね。おそらくは商売か下手だとか、宣伝がどうのぢゃなくてそれこそ 二代にも三代にも伝わるような繁盛を見る事が出けるでしょうね、ですから本当に容易いんですけれども実を云うたら難しいわけですね。こりゃ本当にその気にならなきゃ出けないですね。何か目先のいうなら十銭のものなら十一銭にも十二銭にも高く売れたという事がおかげのような考え方を私共は昔はしておったと思うんです。私も商売人ですけれども。ね、結局どういう事かというと神様を信じなければ出けない事なんです。目先は二銭損のようでも教祖様がこのように教えておって下さるからと、それを信じなければ出けません。為にはどうしても人間が出けなければ出けません。辛抱力がなからにゃいけません。昨日は伊万里の恒例の大祭でした。伊万里支部の御大祭でしたけど、毎日お電話を頂いて最近朝参りが沢山あるというような事を、まあ一つの驚きでしたけれども、昨日の朝なんかは三十九名から朝参りがあったちいう。昨日は合楽からは殆ど幹部のかた達がお参りしただけで、バスが出ませんものですからね今。各々の車でおいでられるから少なかったですけれども、兎に角あのお広前の裏と横に付け出しがしてありましてね、テントが張って。合楽からは少なかったですけど本当にいうならば伊万里の御大祭という感じでした。伊万里支部の大祭という感じでしたそれこそ いつもあの前田邸でありますが、そりゃ本当に賑やかな豪華なお祭りでした。もう見知らん御信者さんばっかりなんです。ね、どこにそういう元があるだろうか。私はこれ今日の御教えは商売人に対する御教えですけれども、商売人が繁盛する事の為の根本が説いてあるのです。だから信心のいよいよぎりぎり おかげを頂いて行く、徳を受けて行く其の根本の所がね いうならば出けておるんです。成程神様が赤飯炊いて祝うて下さるような内容があるんてせす。私は昨日ふっと其の事をお祭、あちらへまいりまして思うた事は、合楽でいうならば今日の御理解ぢゃないけれど 本当に信じて感じておかげを頂いておる方達の所の御信者さんの所では皆、子供さんがお道の教師になってますよね。これなんかはね やはり神様を信じきらなければ出ける事ぢゃないです。おかげは頂くばってん金光さまの先生にゃなそごつなかといったような、竹内先生の所が長男でしょう、秋永先生の所も長男でしょう、佐田さんの所も長男、長男も一人息子でしょう。古屋先生の所もそうでしょう、田中恵美子先生の所もそうでしょうね、宮崎の支部長の網さんの所もそうでしょう。もう本当に合楽を信じきっとらなければ子供を教師に神様にいうならば差し上げれるという事は出けません。
 あらためて はあ成程神様を信じる だからいうならば目先は二銭損のようであっても十銭のものを八銭で売れとおっしゃるからもう兎に角、お道の教師ということは もうこの世に生を受けて来たが最後、一番最高の御用だと信じなければ出ける事ではありません私は、今日はここん所をね 商売人に対する繁盛の根本が説いてあると思います。ね、ですから私共がいよいよ徳を受け、おかげを受け力を受けるその根本というのは、其の根本というのぢゃなく、根本を頂いての いうならば信心。信心基礎というものが大事、それはもう信心さして頂く者は当然の事として、先ず人間を作らなけりゃ出けない。どっから見ても人間がすばらしい、そしてその教えにいよいよ忠実である事、疑念がない、ね、しかも自分だけではない子にも孫にもそれをいうならば信じて伝えていけれる いうならば信念と申しましょうかね、それでいていうなら辛抱力がそれこそ体はちびるものではないから働く。しかもそれが一家を上げてという所にそういう信心に、昨日の御理解ぢゃないけれども世の光にならないはずがない。ね そこに私は伊万里支部の発展があると思うんですよ。昨日そんな事を感じました。どんなにこのお酒は特級酒です、超特級酒ですというても、栓が抜けておったらね「き」が抜いてしもとったら値打ちはないです。飲んでもほろっともせんです。そこにはね 私は本当に、家庭が勢を揃えてしかも神様の確信からはじまった信心からでないと出けないと思うです。
 今日はいうならば商売をするなら絶対繁昌だ、商売が上手だから宣伝がうまいから、場所が良いから そういう繁盛はね もし場所が悪くなったらお客さんは減るでしょう。宣伝をせんごつなったらもうガタ落ちでしょう。なら次の息子は商売が下手ときたらいよいよ駄目になるでしょう。ね それで繁盛するのぢゃない、いうならば神様の信用、お客さんの信用を受ける事、あすこは絶対他よりも安い良い品物であるね というような私はおかげ いわゆる教祖の御教えを守る所に神様の御信用もついて、いうならば繁盛するという事が子にも孫にも伝わって行く繁盛ともなっていくと思うんですいわば繁盛の根本 いうならば信心によって力を受け 徳をうけていく其の根本は神様の絶対信にある。そして人間作りに本気で改まりに本心の玉を磨く事に焦点をおく事が信心なりというふうにもう思い込んでいく事である。ね、そこになら そこにまあ中心になる人の信心がそこに出けていったら、それに見習うていく 神習うていっておる様子を竹田家に見ましたね 昨日は。
                      どうぞ